「酒と涙と男と女 (妄想ver.)」


ガチャリ。
 
分厚く仕切られたスティールのドアを開け、店内に入る。
恐ろしく重厚なそのドアは、大抵のことでは破壊されそうに無かった。
よくよく目を凝らしてみると、銃弾を受けたような跡が…いや、気のせいであろう。
 
店内に入ると、ムッとした何とも言えない空気が僕たちを歓迎した。
男が5人…客はそれだけだった。
皆、ビールを片手にポーカーや花札に興じていた−−マリワナやハッシシを嗜みながら。
その光景は、居酒屋というよりもはや鉄火場であった。
異様な空気。異様な光景。危ない。そう思い、踵を返して入り口に向かった。
 
「らっしゃい。何人?」
 
運命はそれを許さなかった。店員−−身の丈はゆうに2mはありそうな男−−が僕たち
を阻んだ。そっと振り返る。彼の佇まいに度肝を抜かれた。
右手にニワトリ、左手にナギナタのような包丁。
包丁は、ベットリと真紅に染まっていた。ニワトリの生死は…確認するまでもなかった。
彼はその目に暗い翳(かげ)をたたえていた。目の周りの尋常ならざる隈−−おそらく麻
薬常用者のそれ−−が、彼の不気味さを一層強めていた。
 
「あ、あの、鶏料理のお店なんですか…?」
 
そばに居た友人、西荻ボーイ君が思わず声を発した。
聞かずばいられない、その思いが彼を動かした。
 
「違うよ。野人料理だよ」
 
言ってる意味がよく分からない。じゃあそのニワトリは一体…?
しかし二の句が出てこない。おそらくこれ以上の質問は死を早めるだけだ。
本能がそう告げていた。
 
「で、何人?」
 
「き、9人です…」
 
男は、無言でアゴをしゃくった。二階に上がれということだろう。
僕らは無言でそれに従った。逆らう結果は死−−幾多の経験が、そうアラートを発して
いた。
 
ひどく殺風景な部屋だった。乱雑に置かれた机。整合性のない椅子。ところどころに染
みた、血のような跡…気のせいだろう。そういう模様なんだろう。ふと天井を見てみた。
 
真っ赤な手形が、そこにあった。
 
最早何も考えられなかった。一刻も早くこの店から出なければ…頭の中はそのことで一
杯だった。
 
「しゃっせー」
 
滑舌の悪い声が鼓膜を震わせる。どうやら二階にも店員がいたようだ。
僕たちは促されるままに席に着いた。
 
「飲み物ー」
 
またも滑舌の悪い発声。僕は少しだけイラッとしながら店員の顔を覗き込んだ。
 
「ケ、ケメ子…ちゃん…?」
 
「!?」
 
「そうだよ、ケメ子ちゃんだよ!俺、俺だよ!地元で一緒だったからだだよ!」
 
驚愕した。そこには幼馴染の女の子の姿があった。
毛目ケメ子。10年来の付き合いだった。
彼女とは家が近く、よく遊んだものだった。
お下げ髪のよく似合う、カワイイ子だった。
明朗にして快活、聡明にして端正な顔立ち。
彼女は誰からも好かれていた。
皆からは、親しみを込めて「肉便器」と呼ばれていた。
意味はよく分からなかったけど、肉とか便器とか卑近な単語を用いられて、ケメ子らしい
愛称だな、と思っていた。
 
そんなケメ子だったが、僕が高校1年の時、突如としていなくなった。
噂によると、家族揃って旅に出たらしい。二度と戻らない旅に。
 
そのケメ子が、今僕の眼前にいる。懐かしかった。思わず目頭が熱くなった。
 
「急にいなくなったから、ビックリしたんだぜ!何してるんだよ、こんな所で…」
 
「……」
 
「どうしたんだよ、何があった?俺でよければ力になるけど…話してみろよ」
 
「…お父さんの借金の肩代わりで…」
 
「借金って…いくらあるんだよ?」
 
「二兆円…」
 
に、二兆円って…!どうやったらそんな途方もない額借金できるんだよ…!?
 
「な…!何でそんなに…?」
 
「騙されたのよ!アイツら、最初はいい顔してて…お父さんも100万円くらいならって…
でも契約書よく読んでなくて…利子が、10日で70割とかで…気付いたら2兆に…」
 
もっと早く気付こうよ…と思ったが、今はそんな話をしている場合じゃない。
 
「そうなのか…それで、借金は返せそうなのか?」
 
「分からない…でも今は働くしか…時給387円で働くしか…」
 
ば、バカな…!時給387円で返せるわけないだろ…!
 
「…逃げよう」
 
「え?」
 
「逃げよう、ケメ子ちゃん!そんな借金に縛られることないよ!逃げるんだ!逃げて僕と
一緒にコロンビアでコーヒー豆を育てよう!子供は三人!」
 
「(何、その具体的な提案!?)…無理よ!あいつらから逃げられっこないわ!あいつら
からは…」
 
ふと階下に目をやってみる。屈強な男達。5人はいる。
しかも全員が、料理そっちのけで拳銃を弄んでいる。
バカな・・・居酒屋なのに拳銃使わねえだろ・・・!と思ったその時
 
パーン!
 
突如発砲される弾。銃口の先を見る。ビール瓶があった。
どうやら、この店では栓抜きの代わりに銃を用いるらしい。
 
「な、何だよあれ!?」
 
「名物なのよ。この店の」
 
め、名物て…!使えよっ…栓抜きをっ…文明の利器をっ…!
 
「あんな連中なのよ。逃げることなんて無理なのよ!」
 
「……」
 
確かに、あの銃を向けられてはひとたまりもない。逃げれるかどうかと言えば、望みは薄い
だろう。しかし、ケメ子をこのままにしておくワケにはいかない…クソッ、どうすれば…!?
 
「待ちなよ」
 
誰かが声を発した。目を向けている。西荻ボーイ君だった。
 
「俺が、いや、俺たちがなんとかしてやる。その隙に逃げな!」
 
「何とかって・・・お前一体・・・」
 
「大丈夫、この日の為に俺は通信講座で太極拳を習ってきた」
 
い、意味ねぇー!しかし弾よけくらいにはなるかもしれない。そう思った僕は
 
「分かった、それでいこう。あの男達は任せた」
 
そう言い放って、さっそく作戦を実行に移した。
 
まず、8人が階下に走りだし、男達を止める。そしてその隙に二人で逃げ出す。
シンプルながらもパーフェクトな作戦。
失敗は…死を意味する。
モタモタしている時間はない。早速実行に移さなければならない。
 
「…いくぞ!」
 
西荻ボーイ君がそう合図をし、一斉に階下に下りる8人。
 
パンッ!パンッ!パンッ!
乾いた音が店に響く。
西荻ボーイ君は、自慢の太極拳の一の型を出す途中、マシンガンでズタボロに撃たれ
絶命した。
すまん…お前の犠牲は無駄にはしない…!
 
仲間が次々と絶命していく中、命からがら店から脱出した。
店を出ると、鉄馬くんがバイクでスタンバイしていた。
彼は確か電車で来たはずなのに・・・いや、この際そんなことはどうでもいい。
 
「すまん。乗せてもらうぞ!」
 
「いやでも、これタンデム付いてないから」
 
い、意味ねぇー!僕は傍にあった拳銃を静かに彼に向けて引き金を引いた。
 
「どうするの!?」
 
「駅だ!駅に向かおう!」
 
駅に向かえばなんとかなる。そう思って駅に走り出した。
 
奇跡が、そこにあった。
今日に限ってJR開設120周年記念で、西荻窪駅からシベリア超特急が発着していた
のである。
 
「神の思し召しとはこのことだぜ…」
 
僕らは列車に乗り込んだ。あとはソ連に逃げ込むだけだ。
 
「乗車券を拝見…」
 
パンッ!最早人を殺すことに何の抵抗も覚えなくなっていた。
 
「これで安心だね、ケメ子ちゃ…ん…」
 
「ごめんね、からだ君」
 
僕の眼前には、拳銃の銃口があった。事態がつかめない。
 
「さっきね、逃げている途中でアナタに保険金を掛けたの。アタシ、やっぱりお金が欲し
い。愛よりお金が欲しいの。だから、ねえ、死んでちょうだい?」
 
あの短期間で僕に保険を掛けた彼女の手際の良さに驚きながら、しかし、僕は途端に
恐怖した。死ぬのか。僕は死ぬのだろうか---
 
「待て、ケメ子ちゃん、僕は本当にキミを--」
 
パンッ!乾いた炸裂音。目の前が赤く染まる。
 
薄れ行く意識の中、ケメ子は笑っていた。
幼い頃とそのままの笑顔で彼女は笑っていた。
僕の意識は、急速に途絶えた




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